国際学会 2015年 GRECMIP バルセロナ

2015年7月2〜4日、バルセロナで開催された、国際最小侵襲足の外科学会GRECMIP(現MIFAS)に参加しました。

このときは、2014年7月に急逝された解剖学者のGolano先生のメモリアル学会でもありました。

以前もお話しましたが、Golano先生にはMIS手術セミナーや学会でもお世話になっただけでなく、東日本大震災のときにはお見舞いのメールをいただきました。

下の写真は震災直後の近所の風景です。自宅も1週間くらいインフラがストップしました。

日本からの参加は、例によって私一人でした。

各国の参加できない先生からのお悔やみのビデオレターが上映されました。その中に、当時、帝京大学教授をされていた高尾先生からのものもありました。

私は、Vernois先生が座長をされた、“MIS in the world”というセッションで、日本代表でした。日本のMISの現状や、自分が国内で行っている主な手術法と学会活動などについて報告させていただきました。

他の国からの代表として、フランスからは座長のVeronois先生のほか、ボルドー大学のLaffenetre先生も来られていました。

イギリスからは、師匠の一人であるRedfern先生がおられました。

スペインからは、足の外科MIS界の重鎮で、最初のMISセミナーでいろいろ教えていただいたPrado先生が来られていました。また、Rabat先生もおらました。彼は、この学会のあとのセッションで経皮的scarf法について発表されていました。

イタリアのCarloやイスラエルのTamir先生もいました。彼らは、あとで糖尿病の足底潰瘍に対するMISによる治療法を発表していました。Tamir先生は、この学会の帰りの便を待っているときにたまたま空港で再会し、以前に私が行った近位chevron法について、いろいろ議論をさせていただきました。

他には、ポーランドからのPiotr先生もいました。彼は、以前の学会のときに宿泊したのが同じホテルで、朝食のときに、「君のベルギーでの発表をきいたよ」、と話しかけてきてくれました。それ以来の友人です。この学会でもよく隣に座って、私が、「新しい術式のDOMMOについての発表が聴きたいが、他の発表とかぶってしまて、残念ながら聴けない」と言ったら、その発表を聴いてくれました。私が、「この方向に骨を切ると、骨頭が外側に行き過ぎるからよくないのではないか?」と言ったら、「同じ質問をした人がいた」、と言っていました。さらに親切なことに、学会後、しばらくしてスライドの写真を送ってくれました。現在、私が内転中足などに行っているDOMMO法は、そのときのスライドを参考にしています。

スイスのDelmi先生もいました。「私が参加する学会には、いつも君も来てるね」と言われます(笑)。

スイスからはSugar先生も来られていました。彼は、basal osteotomyについてよく発表されている方です。

次の学会の会長になった、モロッコのKarrakchou先生も来られていました。

以前から学会でよくお会いするCuellar先生は、メキシコ代表でした。

オーストラリア代表はLam先生が来られていました。この年の12月に、シドニーでこの学会主催のMISセミナーが開催され、私が初めてインストラクターとして参加したのですが、もちろんそのときにもお会いしました。彼は、この学会では、私もときどき行っているLapidus変法について発表されていました。

この学会は、経皮的手術だけでなく、関節鏡や腱鏡の発表も多く、香港からはLui先生、台湾からはChen先生も参加されていました。

たくさんのMIS仲間に会えて親交を深めることができ、また新しい知識がいくつも得られたので、大変実りの多い学会でした。今回、このブログを書くにあたって、あらためて当時のプログラムやスライドを見直したのですが、7年経った今見ても先進的な内容で、故Golano先生に捧げるのにふさわしい、素晴らしい会でした。

この会では、スペインのAsuncion先生にもお会いし、一緒に写真を撮りました。残念ながら、それが彼との最後の写真になりました。

2015年7月、Asuncion先生と。バルセロナにて。

彼は、この学会の5か月後、2015年の12月に急逝されました。彼とはFacebook仲間でもあったのですが、彼のページに地元の友人が書き込んでいる内容がおかしいことに気づき、学会秘書にメールで問い合わせたところ、やはりお亡くなりになったとのことでした。

彼とは、2009年の日本スペイン足の外科学会で初めてお会いし、一緒に浅草観光をしました。江戸東京博物館で展示されていた番町皿屋敷などについて、私の拙い英語で説明し、アキバでは、「あのメイド姿でチラシを配っているのは何だ?」と訊かれて返答に困ったことを思い出しました。その後、2010年にスイスで再会し、2011年にバルセロナ大学で最初にMISの手術見学と術後の外来も見せていただきました。休み時間にエスプレッソ・コーヒーおごってくれて、雑談をしたのもいい思い出です。ベルギーの学会も勧めてくれて、そのときは私の講演を聴きに来てくれていました。2022年3月現在も、彼のFacebookが更新されずに残っているのを見るのは、悲しいものですね。。。

さて、今回は開催期間が3日といつもより長く、ホテル近くのバルにまた行ってしまいました。店内で食事をすると料金が高くなりますが、今回は夏だったので涼しい屋内にしました。例によって前回と同じ店員で、英語が話せなかったですが、それはそれで異国情緒があっていいと思います。今回も美味しくいただけました。

店内から、外で食事をしている人が見えます。 このミミガーか軟骨風の料理はビールに合います。

これで終われば素晴らしい学会だったのですが、なぜかいつもオマケがつきます(汗)。まずバルセロナ空港で飛行機の出発が2時間ほど遅れてしまい、乗り継ぎのフランスの空港では、次の便のゲートまで、みんな駆け足で汗だくでした。ようやくゲートにたどりつき、チケットを渡そうとすると、半券部分が切れてしまっていました。係員がそのチケットが問題ないか確認をしていると、あとから走ってきた日本人のおばさん二人が私を押しのけてゲートに入ってしまい、その時点で突然係員が、「これで今日の便への搭乗はおしまい」、と言い出しました。日本での仕事に間に合わなくなると必死に食い下がったのですが、今日は空港外のホテルに泊まるように言われてしまいました。そのときの案内がまた不十分で、他の人達(もちろん日本人ではない)とシャトルバスを待っていましたが、いっこうに来ません。携帯も圏外で通じず、結局、バス停が違うのではないかという話になって、みんなで移動して、ようやく用意されたホテルに着きました。ゲートまで走って汗だくで、その後も熱い中でバスを待っていてクタクタになり、すぐ寝ました。翌朝は翌朝で、前日にフロントで訊いたときには朝食のサービスはないと言っていたのに、実は朝食が付いていたのですが、もうバスが出るので食べられませんでした。空港に到着して、職場に出すための遅延証明書を発行するように頼んだのですが、ネットで請求するように言われてしまいました。帰国したらすぐ出勤だから間に合わないので、日本語が話せる人がいたので捕まえて頼んだら、その場ですぐに発行してくれました。

こんなことがあったので、それ以来、Air Franceは使っていません(怒)。

何とか7月6日月曜の朝6時に日本に到着し、そのまま仕事に向かいました。当日は、疲労と時差で、帰宅後は爆睡しました。いつも思うのですが、海外出張って、他の方もこんなにしょっちゅうトラブルに遭うものなのでしょうか?

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